入院になってしまいました
昨日、お腹が痛いと書いたのですが今日になってもまだ痛かったのでがんセンターに連絡入れ検査したんですが・・・
レントゲン、CTと検査したら憩室炎との事で即入院となってしまい今ベッドの上でございます、一週間から10日だそうです。
食事はなく点滴のみだそうです、退院する頃にはまた体重減っているでしょうね。
昨日、お腹が痛いと書いたのですが今日になってもまだ痛かったのでがんセンターに連絡入れ検査したんですが・・・
レントゲン、CTと検査したら憩室炎との事で即入院となってしまい今ベッドの上でございます、一週間から10日だそうです。
食事はなく点滴のみだそうです、退院する頃にはまた体重減っているでしょうね。
またエスパルスとは関係ない事だけど・・・ちっとばか親父の体の現状を。
4回目の入院の前から検査の結果、体調とも余り芳しくないと書いていましたがその通りでCT検査した結果は再発したがんが大きくなっているとちょっとショックな結果が出ていましたし体重も64kgあったのが57kg台くらいまで落ちていきました。
あぁ、がん患者でよく見るようにこのまま痩せてガリガリになってしまうのか・・・先生に「これからは緩和ケアを考えていきましょう」と言われそれまでやっていたオブジーボ治療を僅か3回でストップさせられました、効果が見られないという事で。
ちなみに「緩和ケア」とは簡単に言うと病気に伴う心と体痛みを和らげる事。がん撲滅ではなく今後はがんに寄り添っていきましょうってとこでしょうか。
放射線、抗がん剤、ホルモン注射、その他諸々の治療をやれどもやれども決定打はなし、中々交代選手が働いてくれません。どんどん治療方法が狭まります。治療方法がなくなってくるという恐怖、これは恐いよ。
コロナの影響もあり退院後も自宅で大人しく安静にしていたのだけれど布団から起き上がるのが難しくなっちゃった。全然足に力が入らない。まぁ平ちゃん風に言うてみれば生まれたての小鹿のように足がフラフラしていて倒れてしまうような感じ。何回そのまま倒れ込んだか、踏ん張れないから頭から突っ込んでしまう(笑
立って歩いてもゆっくりしか歩けないしまっすぐ歩けない。酔っ払いみたくジグザグの歩きになってしまう。傍から見れば「なんだ、あの人」って言われるレベルかな。まぁいずれにしてもあの頃(2月~3月頃)は最悪でありました。
このままじゃ拙い、のんびり屋の親父も流石に自分にムチを入れました。
とにかく緩和ケアは考えなく治療できる事を先生と話し合いました。今までの治療は受け身でした。サッカーで言えば川崎あたりに(がん)やりたいようにやられていたかなと。あっちはよくパスが回ったわ。親父の守備(治療)はボッ立ちディフェンスだったような気がします。
3回で切り上げられたオブジーボ治療を継続したい旨先生と話し合い継続しました。オブジーボ治療とは免疫療法です、最終手段です。
あと強力な利尿剤等使いつつなんしょ水分を凄くとりました。トイレ行って出し分だけまた水分摂取したので一日20回くらいトイレ行きました。
それが功をを奏したかどうかわかりませんが(多分そうだと思っているが)体の中で良いパスが回り始めた感じです。首筋から右腕の痛みも消えあれほどなかった食欲もかなり出てきて今では64kg台まで体重も戻りました。食欲あり過ぎて困ったよ(笑
この前、またCT撮って結果聞いたら
先生「がんが小さくなっています、このまま継続しましょう」
GOOOOOAL!
何か先生の声も少し弾んでいたような気がしました。積極的に先生にこちらの意見、要望を聞いてもらって多少なりとも結果出たというのはやっぱ嬉しいもんで。
足の踏ん張りさえ何とかなれば今非常に良い状態です。完治は多分難しいとは思うけど今より少しでもいい面が見られればそれが今は一番幸せかなぁ。
あらまぁ、エスパ絡みじゃないのに二ヶ月振りのブログ更新にすぐ反応して沢山のコメントいただき申し訳なし。まぁがんで自宅療養中の身ですから気にかけてくれた方もいらっしゃったかなと。
ありがとうね、エスパ絡みでブログ更新も中々できないけど徐々に徐々にやっていくでね。
試合やり始めたら何とか元のような変な(笑)記事書くでね、そん時までこんな感じで。
ほんじゃぁ、またねぇ。
皆さん、お元気ですか?(井上陽水風)
ご無沙汰しています、がんセンターからの退院報告を最後にして二ヶ月放置してしまいました。
何とか生きてるよ~・・・今回は生存確認まで。
三保では練習もスタートしたみたいだし俺もボチボチ復帰しようかな。と言いながらもまた放置になりそうだけどこれからも精一杯生きてくよ。
ほいじゃ、またねぇ~😃
天候といい地震といい天変地異といっても過言でないくらいの事が起こっています。
北海道の地震は結局震源地は震度7だったという事です。
静岡県でも7年前に富士宮を震源とする大きな地震がありました。
静岡にまで来んなよな (2011年3月16日 記)
こん時は震度6強、北海道の地震と同じだと思っていましたら北海道の方は震度6強から7に訂正されました。
何れも直下型地震だったので被害が大きかったですね、静岡市内でも震度4でした。
富士宮では地域柄、和風のお宅が多かったので日本瓦のお宅で結構瓦が落ちブルーシートで屋根を囲っていたお宅が随所に見られました。
北海道には知り合いもなく親戚もありませんが北海道に単身赴任中の
自称プロゲーフラー&JAL愛&CA愛&女性アナ愛&OW愛&アウェーチームチア愛&・・・家族愛
に満ち溢れたお仲間さんの三島のさかた師匠が心配されましたがどうやらご無事のようでした、良かったです。
この地震の影響で今日行なわれる予定だった日本代表の試合@札幌ドームが中止となりました。ドームでの試合は大雪とかよっぽどの事が無い限り中止は考えられませんでしたがあれ程の地震じゃ仕方んないですね。
いつ来るか、いつ来るかと言われる静岡の地震、時々他地方でこういった大きな地震の報を聞きますとまた新たに地震に対する心構えってもんが蘇ります。
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さくらももこさんのご逝去は想像以上の反響ありここ静岡でもさくらももこロスが半端ない。
まるちゃん関連のラッピングのバス、電車が走っていて清水駅、ドリプラもまるちゃんオンパレードです。
これも富士山と一緒で地元民はそこにまるちゃんがいるのが当然、普通な事になってしまって空気と同じような感覚になっていました。
そして今回はマンホール。
今年の6月、沼津でラブライブのマンホールを白の塗料で塗りつぶされたそんな事件もありましたがそんな事がないようにお願いしたいな。もしこれが据えられたら親父はこのマンホール踏めね~な。
さてそのさくらももこさんを奪った乳がん、いまや女性の12人に1人がなる病気です。
ご他聞に漏れずうちの女房もなりまして手術を受けました、もう5年くらい経つかなぁ。
おかげさんで術後の経過もよく手術前と同じ生活を送ってはいますがやはり体は疲れやすくなっていますかね。(歳を重ねた事もあるけどね)
かく言う私も約3年前に右目奥にがんが発症、右目周辺を切除しました。その後、このブログも「オレンジ親父」から「独眼・オレンジ親父」に変更したのですが。
私の清水のお得意様の社長も色んなとこにがんができ私の入院した時期と重なり同じ病院だったもんでお互いの病室を行き来したりして・・・『俺ら「がん友」だから』なんて今は笑い話にしていますが・・・
この「がん」っていう奴、絶対になると思っていた方がいいよ、脅すわけじゃないけど。その対処方法は早期発見しかない。
俺みたくがんになっちゃうと定期検診とか病院に行かなきゃなんないからよっぽど変なとこに転移しなけりゃあ今後再発発見遅れという確率は低いとポジティブになってるだけんね。
若い方はがんの進行が早い。みんな、検診受けよ~ぜ
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前エントリを書いた時は中々退院という言葉が出る状態ではなかったのですが年末、年始を病院で過ごしたくないというのは誰しも思うところでございます。
昨日はCT検査やら色々な診察があったのですが一応明日30日に退院する運びとなりました。但し、年明け早々検査のためまた外来で来なければならないですが・・・自宅での身体の管理は中々難しいとは思いますがキッチリ年末、年始を乗り切りたいと思います。
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もう4年になるのですね。
2011年3月11日14時46分頃。
開幕鹿島戦中止のメールが来たっけ。
こんな時でもサッカーの事ばかり考えていて・・・
311なんていうとサッカーのフォーメーションだと思ってしまう自分が悲しい。
正直なとこ、募金もあの時しかしていない。自分の中で風化させてないつもりでも日常に流されていってしまっている。
また再び思い起こさなければ・・・
14時46分にアップします。
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ゴ~~~ン。
親父が住んでいる静岡市葵区沓谷では愛宕霊園が町内にあり昔(俺が小僧の頃)寺住宅と言っていたお寺さんが10以上あるのでタバコを吸おうとベランダに出ますと年越し前の除夜の鐘がいくつも聞こえてきました。
年が明けました、あけましておめでとうございます。
皆さんにとって、エスパルスにとって良い年でありますように。
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昨晩、18時頃に迎え火を。
午後は墓参りに行って来ました。ホントはネ、FC岐阜とのTM行こうかと思っていたのですがしょんないね、長男坊としては。
うちの亡くなった親父っていうのが無類の酒好きで・・・酒好きっていうか酒乱・・・はっきり言えばアル中に近いもんがありました。
60を過ぎて仕事をリタイヤした後は決まって14時30分に嗽(うがい)をしそれから飲みが始まりました。その嗽(うがい)のガラガラがゴングのように聞こえてくると家庭内に緊張感が走ったものです。
亡父は若い頃は日本酒、暑くても寒くてもレンジでチン、それがトラウマになっているようで俺は熱燗にしたあの日本酒独特の匂いが嫌いで嫌いで・・・なので俺はいまだに日本酒を燗では飲みません。
亡父は酔っ払うとよく暴れました、何かの歌にありましたね「酒さえ飲まなきゃ優しい親父」
普段が決してやさしかったとは思いませんが飲んだ後のあの姿を見れば普段がやさしく見えるのでした。これは酔っ払いを抱えている家庭でなければ実感できません、なので俺は暴れる酔っ払いが大嫌いです。
その親父を反面教師にしているはずの俺もボチボチ飲むようになってしまいましたが休みの日でも昼間からは絶対に飲みません、但し試合がある時は別ですが(笑
時代だったのでしょうね、俺も若い頃は酒に弱いくせに飲みました、吐いてまた飲みトイレを抱えて寝てしまった事もしばしば。天井がグルグル回り苦しくて苦しくてもう絶対に飲まないぞと思いつつまた翌日には飲んでました。
うちの小僧も時々静岡に帰ってきてもうちでは飲みませんが修善寺の職場では週3~4回は飲みに行っているようです。
俺も50歳を過ぎてやっと酒に飲まれない年齢になったようです、っていうか飲めなくなったという事でしょうね、ウコンの力の力も借りるようになったし(笑
奇しくも昨日は亡父の誕生日でした。生きてりゃ84歳ですか、良い事も悪い事も年一回くらいは思い出してやんなきゃと思います。
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